ウクライナからの避難民を「準難民」として受け入れる政府の新しい制度とその支援策が発表されました。
しかし、長らく非人道的な扱いを受けている難民申請中の人たちにも、このような支援が期待されます。映画「マイスモールランド」は、日本の難民とその複雑な状況を描いています。
17歳の高校生サーリャ(嵐莉菜)は、父親と弟、妹とともに埼玉県川口市で暮らしています。一家はクルド人で、迫害を逃れて日本にやってきました。コンビニでのアルバイトに精を出して大学進学を考えていましたが、難民申請が不認定になって在留資格を失うと、労働を禁じられ移動も制限されてしまいました。さらに、父親が入管施設に収容されてしまい、生活はたちまち困窮してしまいます。
日本に暮らす難民たちを追ったドキュメンタリー映画「東京クルド」や「牛久」などと同様、映画「マイスモールランド」も日本の難民政策の非情さと複雑な状況を描いています。
また、サーリャの物語は政治だけでなく、日本社会の窮屈さと限界も浮かび上がらせます。
10年以上日本に住んでも「日本語上手ね」と話しかけられ、クルド人社会では同胞の青年との結婚を期待されます。彼女をドイツ人と思い込んでいる学校の友人に真実を明かせません。
クルド人の精神性を守ろうとする父マズルムと、クルドと日本のアイデンティティの間で揺れ動くサーリャの素直な心情を描いていることで、ストーリーに一本筋が通っています。
学校での友人とのさりげない会話や教師との面談、バイト先のコンビニ店長や家主の対応、通り一遍の言葉しかかけられない弁護士など、サーリャを囲む現実の厳しさ、日常の偏見と悪意のない不誠実さを突き付けられます。
制度から厄介者扱いされると同時に、無意識の偏見や思い込みにより道をふさがれてしまいます。日本とクルドの間で民族や国籍を押し付けられてサーリャは居場所を見つけられず、心身とも身動きが取れなくなってしまいます。
ただ、無知だけど素直で真っさらな聡太(奥平大兼)がこの映画の救いです。
サーリャと聡太が土手に行って座るまでを、柔らかく手持ちカメラで追うシーンがあります。後ろ姿の2人の間に動くのは、橋脚の間に光る川の流れだけ。静かな瞬間から正面への切り替えしで、打ち解けた話がはじまるシーンが印象的で、感情がとても揺さぶられました。
「なに人」と言う枠にこだわらずにサーリャをフラットに見つめる、ボーダーを超えた聡太の視点が世の中をより公平で共感的な社会に変える一歩になるはずです。