大学生の文(松坂桃李)は、公園で行き場を失くした更紗(広瀬すず)を連れ帰り、しばらくともに暮らした後で誘拐犯として逮捕されます。そして15年後、更紗は婚約者の亮(横浜流星)と暮らしてましたが、ある日偶然入ったカフェで文と再会。文への思いを遂げるため、亮を置いて文の隣の部屋に転居してきます。
世間的には誘拐犯とその被害者である文と更紗ですが、互いをかけがえのない存在として求め合っています。その関係は恋人のようですが性的関係はなく、親子や兄妹的なつながりとも違います。この枠にはまらない関係は説明も理解も難しい・・・・
そして、この映画「流浪の月」の李相日監督は、説明や理由付けは最小限にして、文と更紗のたたずまいと存在そのもので、2人の関係性を俳優たちの演技力に託して説明しようとします。
広瀬すずと松坂桃李は、その期待に応えて奮闘してます。真情を押し殺して生きる苦しさ、理想の相手と再会して得た解放感、そして世間と自らが課したくびきを捨て去る強さを得るまでを、静かな熱気を込めて体現してます。
李相日監督の映画はすべてが濃いです。
「悪人」、「怒り」と人間の奥底に渦巻く感情を解剖してきましたが、凪良ゆうの小説を映画化したこの「流浪の月」では、禁断の恋が成就されるまでを密度と粘度高く描いています。ただ、その描き方の剛腕に圧倒されること必至です。
そのため、ゆがんだ自意識を秘めた亮を演じる横浜流星ともども内圧高く役を生きていて、どの場面も息苦しいほど濃密。そして、更紗と文の覚悟を示す終幕は清々しい一方で、ズシリと重いです。
ちなみに、この映画「流浪の月」でまず心をとらえたのは、やっぱり冒頭の更紗と文の出会いのシーン。
子供の更紗が公園で本を読んでいると雨が降り出し、文が傘をさしかける。風が強く大木が揺れる。次は橋の情景、太陽が雲間からのぞき、光が走り、雨雲に戻ると相傘の2人が橋を渡っていく。激しく流れる川面を見せ映画タイトルが出る。2人の心情に寄り添い、包み込むような水と風と光を感じさせる。
感性豊かで徹底的にこだわる李相日監督の撮影の妙が素晴らしいです。